ぼっちの私が勉強したいって思う時はいつかって

なんで勉強するんですか?

なぜ勉強するんですか? という質問に対して、理由を並べて、だから勉強するんです、というのはあまり好きじゃない。

その理由、というか、嫌だな、と思うのは2パターンあって、1つは「あなたの得に(損に)なるんだから勉強しなさい」というやつ。

将来のためとかわかんねーし

子供のときは、そんなこと言われてもリアリティがない。想像がついてこない。「将来お金持ちになれない」とか、「学校に行かないと信用されない」とか言っても、実際にお金を稼いだこともなければ、見知らぬ他人に信用を求めたこともない子供には、「お金を稼がなければ」とか「信用を得る材料が欲しい」とか感じる、具体的なシチュエーションも出てこない。

だから、「なんだかわからんが勉強は大切」「なんだかわからんが勉強しないと」さらには「勉強できないやつはダメ」というような、教条主義に陥ってしまう。そこから生まれるのは不安であって、やる気じゃない。

と思う。

お前がそう言うなら美しいんだろう、おまえの世界はな

もう1つは「世界はこんなにも美しい」ってやつで、これも、じっさい「こんなにも美しい世界」ってやつを感じたことがないと通じない、相当にふわっとした言葉だと思う。

「1位で切るテープはたまらない。だから陸上やろうぜ」とか、「絶妙の連携で胸熱。だからサッカーやろうぜ」とか言われて、運動音痴で引っ込み思案な奴がスポーツ始めますかというのと似ている。確かに楽しいかもしれないけど、やってみないと分かんないんだよな。

「なんで勉強すんの?」とか言ってるときは、その「試しにやってみる」っていうはじめのやる気すらない状態なのに、「やったら楽しいよ」とか知らねえよって。

勉強したい時

で、そういうこと考えてるひねくれ満点な私がどういうときに「勉強してえな」ってしみじみ思うかというと、自分がすごいなって思ってる人に、自分の知らないことを「知ってるよね?」って言われた時。まあ、言われなくても、「当然知ってるよね?」って扱われた時。

それも、「まあ愚民はともかく教養人は知ってて当然の基礎知識だよね(ドヤッ」とか、「知らないんですかwwwwwもっと勉強してくださいよwwwwwww」とか、そういうバカにする感じじゃなくて、「お前なら俺の言いたいこと分かるだろ?」とか、「俺こういうの面白いと思うんだけどお前どう思うよ」とか、そういう期待を持って言われた、と感じる時。

そういう時って、「説教する相手」とか「管理する相手」じゃなくて、「話し相手」とか「仲間」って認められた感と同時に、「俺はこの人の期待に全然答えられてねえ」っていう悔しさ、申し訳なさを感じる時。これはもう勉強するしかないだろと感じる。

そこでなんか適当な感じで知ったかぶったりとか、生半可な知識で適当なことぶちあげて、「ああ、こいつ……知らないのか……」みたいな顔されたら悔しいわ寂しいわ情けないわで、もうね、なんで勉強して来なかったんだろうって思うね。ごめんね。

その他

次点で、あれこれ試すのが楽しい時。ゲーム感覚。

やってもやっても全然分かんねえ頭ごちゃごちゃで砂を噛んでる気分、って時はなんかもう駄目だ。なにやっても頭入んない。

逆にだんだんわかってきた時とか、簡単すぎつまんねえなって思ってるくらいで、若干難しい問題が出た時とかテンション上がる。

東方Projectやっててしみじみ感じたけどステップアップ大事。超大事。パターン1つ1つ作っていって最終的にボスを突破するとか、基本のムーブ1個1個練習してコンボ使えるようになるとか、

そんな積み上げの心を僕は東方Projectで学びました。

そういう心を教えてくれる東方Projectはとてもいいゲームだと思いました(作文)。